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第0回 当ブログ概要

このブログでは、毎回一つのテーマを掲げ、それについて文章を書いていきます。

完全な私見満載なものになりますが、所詮一個人のぼやき程度に考えていただけると幸いです。

更新頻度は2週間に1度程度(要するに不定期更新)を予定しております。

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第1回 ブログ

1回目のテーマはオーソドックスに。とりあえずといった感じで書いておこうと思う。

ブログがこんなにも世の中に普及したのはいつ頃からだっただろうか。本当に数多くのブログがこのWEB上には存在する。それは様々な国、人種、世代の壁を越えて有るべきして有るものなのだろう。日本でも広く普及しているものだが、特に日本のブログは娯楽的要素が強いものが多いのだと思う。それゆえに、多くの人が手を出しやすいものと化している。

私がブログを始めたのは2年と少し前のことだ。そこから今までずっとブログと共に生活をしてきた。これからもその生活は続いていくのだろう。振り返れば2年間、それはまだ21年しか生きていない自分にとっては、非常に長い期間だ。そんな長い期間ブログと共に生活をしてきた。飽き性の自分にとって、ブログとの生活がこんなに長い期間続いたことは、大変意外なことである。なぜこのような珍事が起こったのか。それはごく自然に、ブログの魅力に取り付かれてしまったからだろう。

ブログの魅力は何だろう。それには人それぞれ様々な見解があると予想される。書き手としてのブログ、受け手としてのブログなど、ブログに対する接し方の違いも、受ける魅力に違いを及ぼすのはもちろんだ。では、私にとってのブログの魅力とは何だろう。それは決して一言では言い表せない。

たとえば単純に、文章を書く場を自分に与えることができる点があげられる。簡単に言えば、誰でも物書きになれるのだ。最近では多くのブログ本が出版され、世間に受け入れられている。そんな機会を誰にも平等に与えているのがこのブログだ。もちろん私は一度も本を出したいなどと思ったことはないが、文章を書ける喜びは、毎回記事を更新するたびに感じるものである。

しかしながら、文章を書きたいだけならば、わざわざブログを続ける必要はない。文房具店でノートを一冊買ってきて、それにつづればいいのだから。ではなぜブログなのか。それはもちろん、自分の書いた文章を、様々な人に閲覧してもらえるからだ。この点は非常に大きなブログの魅力だと感じている。自分の書いた文章を、決して自分が接することのできないような人達に読んでもらうことができる。時には意見をもらうこともできる。人類が60億人いれば、60億人すべての人に閲覧される可能性があるということだ。これは本当に素敵なことだと思う。

それに伴いさまざまな出会いもブログには存在する。ブログをやっていなければありえない出会いがあるのだ。岡山に住んでいる私が、北海道に住んでいるあの人と、ブログなしにどうやって知り合う機会があったか。大学生の私が、高校生のあの人とどうやって出会うことができたか。それらはすべてブログのおかげである。

さらには、そんなありえない出会いと一緒に、自分が決して知りえない様なことを知ることもできた。普通に生活していたのでは知りえない、様々なことを知ることができ、それに驚き喜べる。それが私にとってのブログの一番の魅力だ。本当にたくさんのものを得ることができた。広い視野を持つことができるようにもなった。ブログをやっていなければ、間違いなく今の自分はないだろう。

今現在、ブログの女王の座は誰の下にあるのか。それは私の知るところではないが、私が思う2代目ブログの女王ことしょ○たんは「自分の生きた証を残すため」にブログをやっていると言っていた。人類はみな、いつかは死ぬ(と思う)。今まで数え切れないほどの人類が生き、そして逝った。それにも関わらず今現在を生きる私達が知る過去に逝った人の数はどれほどだろう。多くの逝った人を知らない今の私達。そんな私達の多くが、また未来の人には知られることがないだろう。半永久的に残るであろうWEB上に文字を残すことで、自分の存在した爪跡を残す。それもまた、ブログの持つ魅力に値する。

最近ではブログではなく、○ixiなどのSNSも普及している。むしろブログ以上の人気を誇っているのかもしれない。しかしながら、私は○ixiには魅力を感じない。それは先述したブログの一番の魅力を、○ixiで置き換えることができそうにないからだ。とは言うものの私は○ixiに加入していないから、○ixiのことを詳しく知っているのではない。もちろんブログ以上に○ixiに魅力を感じる人も多いのだろう。しかし、ブログにも○ixiにはない素敵な魅力があるのだということを知ってほしい。そしてさらに、矛盾は承知で言いたい。○ixiをやっているからブログをやらないというような考え方は少し違う、と。SNSとブログを同一のものと考えるのは偏っている、と。そんなことを最近強く思うのだ。そんな私が○ixiを始めるつもりは、さらさらないのだが。

パソコンを好き好み、多くの時間をパソコンの前に座って過ごす人を、ひきこもりなどと呼ぶことがある。しかしながら、そういう人達が必ずしも軽蔑されるべきかといえば、それは疑問である。これは自分がそれに該当するから言っているのではない(と思いたい)。先述したとおり、毎日パソコンに向かい、そこから得られる様々なものがある。多くの時間をブログに費やし、そこから得たものがたくさんある。価値が、ある。それらが実生活に生きていると思うことも、多々ある。現代を生きる自分をより高めるため、これからも私はブログを続けていくだろう。

(今回はあえてブログの良い点にしか触れませんでした。)
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第2回 音楽

2回目のテーマは音楽。特に深い意味はなく、つらつらと。

音を楽しむと書いて音楽。そもそも音楽という概念はいつからあるのだろうか。音楽という概念を生み出した人は誰なのだろう。いつかどこかで耳にしたことがあるような気がするが、忘れてしまった。とりあえず、音楽なんてのを最初に生み出した人に告げよう。あんたは神だ、と。

私は自分の趣味を問われた際、スポーツ・音楽・睡眠と答えることが多い。最近ではブログなんて言うこともあるのだがそれは置いといて。趣味が音楽などといえば、バンドでもやっているのか、はたまた音大にでも通っているのか、素敵なレコードコレクションをお持ちなのかなんて思われそうだ。が、バンドは昔遊びでやってたのだが、ここで言いたいのはそういうのではない。もちろん音大にも通っていない。レコードなんて一枚も持っていない。つまりは、ごくごく普通に音楽が好きなだけだということ。趣味に挙げてしまうほどに。趣味の一つが、音を楽しむこと。誰が何と言おうとも。

音楽が好きだ、と言う人は多い。だから私が音楽を好きだというと、いやいやオレのほうが好きだよ、なんて言われることがある。なんだそれ。音楽は、人それぞれに対して存在するものだ。だから、そういう論争はいらないだろう。でも、そんなちょっとした論争が起こるほど、音楽を好きだとアピールする人は多い。(私は別にアピールしたくはない。)

音楽を嫌いな人もいるかもしれない。でも、音楽を好きな人は多い。多いと思う。それはなぜだろう。人間はなぜ音楽を欲するのか。人間の脳とか、そういう生物学的な理由とかは私には分からない。個人的に思う音楽の力は何だろうか、と。個人的に思う音楽の魅力は何だろうか、と。それもまた、人それぞれ様々なのだろう。では、私にとっての音楽の力は何か。音楽の力、それは心を動かす力だろう。

なんて言えばいいだろう。ある音楽を口ずさむだけで、心が高まる。ある音楽を聴くだけで、体が動く。ある音楽を聴くだけで、涙を流すことができる。ある音楽を聴くだけで、あの時を思い出す。ある音楽を聴くだけで、未来を夢見る。ある音楽に乗せるだけで、思いが伝わる。音楽で、心が、動く。

昔、観て泣いたあの映画。泣いた理由の多くは音楽に起因する。メッセージってのは、音に乗せると届きやすくなる。あの人に伝えたいあの思い、この思い。言葉では伝えられなくても、音に乗せると届けられたりする。音楽の不思議な力だ。昔、運動会の時に音楽がかかっていた。そのせいで、いつもより速く走れている気がした。音楽の力は、不思議だ。最近では、その音楽の力をいろいろなことに利用しようとする動きもある。それは、療法だったり、教育だったり。音楽の不思議な力は、すごい。

いまやどこにでも溢れる音楽。そんな中だからこそ思う。私は、音楽がなかったら生きていけない、と。悲しいけど、生きていけないと思う。これは私だけではないはずだ。この世に生きる多くの人が、音楽なしでは生きられないだろう。この間友人も言っていた。「目を失うよりも、耳を失うほうが怖い」と。もちろんこれは極論だ。目も必要だ。でも、音楽に力をもらい、ここまで生きていた。何度助けられたか、何度心を動かされたか。音楽には、感謝せずにはいられない。

気がつけば鼻歌を口ずさむ今日この頃。一人でもカラオケに行きたくなる今日この頃。久しぶりにギターでも弾いてみようかと思う今日この頃。ふとある現場で童謡を聴いて、涙が出てきた今日この頃。これからもお世話になるだろう音楽。やはりこれからも、私の趣味の一つには音楽を挙げさせてもらう。誰が何と言おうとも。

音を楽しめる私は、幸せだ。
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第3回 四季

今回はかなり短めに。

日本には四季がある。春、夏、秋、冬と、それぞれに違う色を、私達は味わうことができる。これはこれで幸せなことであると思う。あなたは、どの季節が好きですか。私は、秋が好きです。

春は、華やぐイメージ。桜の花を象徴として、新たなステージが思い浮かぶ。
夏は、活動的なイメージ。心も体も熱く、いたるところでエネルギーが生まれる。
秋は、哀愁漂うイメージ。楽しみが終わった後の、なんとなく悲しいような、そんな思いに浸る。
冬は、綺麗なイメージ。空から雪が舞い、多くの人が足を止め、自然を感じる。

だから私は、秋が好きです。

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第4回 ダイエット

今回はただの無駄話。ストレス発散に文字を綴っただけです。

私は、昨年くらいにダイエットをしました。間食を完全に撤廃する。それだけだった。しかしながら、そこそこの成果は得られ、今に至っています。とはいうものの、スリムな体を手に入れたというわけではなく、人並み平均程度の体になったというだけです。それでも自分の中では大成功といえます。

そもそも私は、どちらかといえば痩せ型な体質なのだと思います。大学に入ってから知り合った方々には信じてもらえないでしょうが、おそらく私は痩せ型な人間です。まさか自分がダイエットをすることになるなんて、十年前の自分は思ってもいなかった。

中学生時代までは、ガリガリでした。間違えても太っているなどと言われることもなければ、自分自身で思うこともなかった。部活でバスケットをやっていたが、いくら筋トレをしても腕が太くならず、どうにかならないものかと思ったものだった。

高校に入って、いろいろあったが最終的にバスケ部に入部した。しかし、一ヶ月もせずに退部した。私は今でもそうだが体を動かすことが好きだ。さらには、スポーツはどちらかといえば得意でもある。だからこの退部の理由は、練習がしんどいとかそういう理由ではない。簡単に言えば、人間関係の問題だった。理不尽な先輩たちの態度。それは、運動が好きな私に退部を選択させる程のものだった。

私は正直、高校時代に楽しい思い出がほとんどない。平均点以下なイメージだ。自分自身としては、空白の3年間といった感じ。その理由はおそらく、部活をやっていなかったからだと思う。なぜうちの高校のバスケ部はあんなに荒れていたのだろう。本当に悔やまれるところだ。高校時代も部活をやっていれば、きっと素敵な思い出ができていたに違いない。そして、運動不足にもならなかっただろう。よって、太ることもなかっただろう。バスケ部以外に所属するという方法もあっただろうに。本当に、悔やまれる。

高校三年間、スポーツをやらずいわゆる帰宅部として過ごした。そのおかげで足は遅くなり、顔にそして体に肉がついた。そして大学に入学した。そこで健康診断を受け、身長173cmの私の体重は72kgだった。この身長は、高校入学時とほぼ変化がない。が、体重はプラス10kgだった。さすがに自分が太ったことを実感し、焦った。これはダメだということで、ダイエットをするに至ったわけだ。

今現在の私は、体重65kgくらいだと思う。ダイエットしてた頃はおそらく今より2、3kgは軽かった。またこれ以上増えることのないよう気を付けたいところだ。そんな風にダイエットのことを考える時、必ず私は、今回書いたようなことを思い出す。中学時代までの自分と、高校時代に残した悔い。高校時代なんて、普通一番楽しい時期だろう。本当にもったいない時を過ごしたものだ、と。

私の人生最大の悔いは、高校時代です。ダイエットは、それを思い出させてくれる。

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第5回 変化

前回の投稿からずいぶんと期間が空いてしまった。所詮この程度の人間なのだということでご理解いただきたい。今回も全くもってまとまりなく、つらつらと。

冒頭に対する言い訳ではないが、時が経つのは早い。ひとつきなどあっという間に経ってしまう。いや、あっという間に半年、一年、十年と過ぎていく。本当に時が経つのは早い。昔を振り返ることが増えたのは、歳をとった証拠とも言えようか。私も来月でもう22歳になろうかとしている。振り返れば22年間、あっという間だった。

時が経つと、そこには移り変わる景色がある。目に映るすべてのものが、時と共に形を変えていく。…とまでは言わない。いくら時が経とうとも、揺らぐことのないものもある。それは良くも悪くもあるが、その頑固ともいうべき不動の心持を、私としては見習いたいものだ。そしてまた反対に、多くのものが時と共に変化する。諸行無常の響きあり。

様々なものが変化する。もちろん変化といっても、良い方向への変化と悪い方向への変化があるし、ただただ変化したというだけのものだってある。小学校時代に一緒に竹馬に乗って遊んだ男の子が、今では暴走族の総長。初恋のあの女の子が、今では結婚して一児の母。この間中学校を卒業したばかりの私が、近々その中学校へ教育実習へ。そんなことは、時が経つことで簡単に引き起こされるごくごく自然な変化だ。

時と共に変化するものの一つに、人の心がある。人の心は目には見えない。でも人の心の変化は、非常に鮮明に見える。たとえば、忘れるという行為。これも人の心の変化の一つと考える。その時感じた大きな感動、それは喜びだったり悲しみだったり、それらは時と共に忘れ去られてしまう。今日昼食に食べた生姜焼き定食が美味しかった。しかしこのことを、一ヵ月後の私はいちいち覚えてなどいないだろう。

時が解決してくれる。そんな言葉があるが、それもまた、時による変化がもたらす産物だ。時が経つことで人の心に変化が起こる、忘れる。それによって解決が生み出される。そのようなことは意外に多い。そして、人の心の変化、忘れるという行為。この行為は、いわゆる「もみ消す」という行為にも繋がることを最近強く感じる。

人の心は変化する、忘れる。それを利用して、自分にそして周りに嘘をつくことができる。覚えているのに忘れたフリくらい、誰にでもできることだ。そしてそのことがもし、かなり時をさかのぼるようなことだったら、その忘れたフリに対して周りの人が追求することが少なくなる。むしろ、大昔のことを追及することはタブーとすらされている感がある。時の変化に任せて「もみ消す」のは、非常に残念なことだ。できる限りそのような形での変化の利用は避けていきたい。

昔はよかった。そんなことを思うことが良いのか悪いのか。一概には言えない。時と共に様々なものが変化することを憂う。それもしょうがない。この変化は時が経ったのだから当たり前なのだ。そういう風に変化を正当化する。それもこれも、自然な行為なのだろう。昔を振り返り、変化を感じる。良くも悪くも変化している自分と周り、それに気付く。

そうやって、歳をとっていくのだろう。
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第6回 ぬるま湯

もはや月一更新に成り下がった感がある。さらには月一更新をキープすることが目標と成りつつある。こういうスタンスでお付き合い願いたい。

十人十色。という言葉を私が知ったのは中学生の時である。文化祭で詩の朗読をする際に出てきたような覚えがある。人間はみんなそれぞれ違う、がそれがいい。といったニュアンスを意味する言葉だと思う。当時の私はこの言葉を気に入った。確かにみんな違うし、それは決して可笑しなことではない。十人十色。いい言葉だ。

その言葉が示す通り、人間は生まれながらにしてそれぞれいくらかの差がある。その差は様々な面に存在するだろう。生まれた国、場所、家柄などの差もあれば、性別、身長や体重、能力などの差もある。全く同じ人間などありえない。必ず差異はあり、それは当然のことだと考える。

天才、などという言葉もあるが、人が持つ能力にも生まれながらに差は存在すると思う。記憶力がいい人、計算が速い人、走るのが速い人など、生まれながらにいくらか差が存在すると思う。もちろんこれらの能力は、努力や訓練をすることで高められる。しかし、やはり生まれながらにもいくらかの差があると思うのだ。私の場合どうかと考えるに、いくらか恵まれていたのではないかと思う。

私は今現在大学生である。小学校・中学校と通い、受験して高校に3年間行き、さらに受験して今の大学に受かって、大学生になっている。高校・大学と入学試験を受験し、合格してきた。受験といえば受験勉強であり、必死に毎日勉強して、その成果が実り、見事志望校に合格した。というのがある意味定番スタイルだと思われる。が、私の場合はそうではなかった。

今の日本では高校受験どころか、中学受験や小学受験なども普通に行われている。が、もちろん私は小学校も中学校も受験などせずかよった。その後、高校は受験した。が、正直高校入試の勉強など、一日もした記憶がない。もちろん毎日の中学校での勉強が繋がっていたといえばそうである。が、受験対策などといって自分で勉強時間をとった覚えが全くない。それで高校入試には挑み、受かった。ちなみにその高校を選んだ理由は、家から一番近い位置にその学校があったから。

大学受験はどうであったか。大学受験といえば、自分の行きたい大学に絶対受かってやろうと、死ぬ気で毎日勉強をするというイメージだ。が、私は大学への受験勉強も、一ヶ月くらいしかやらなかった。もちろん高校生活で毎日宿題くらいはやっていた。が、受験勉強なんてホントにやってない。その年の正月も徹夜でテレビを見ていた。そして試験に挑んだ。さすがに受からないだろうと思ったが、受かっていた。その大学を選んだ理由は、高校を選んだ理由と同じ。

見方によっては非常に喜ばしいことかもしれない。大して努力もせずに高校・大学に入学できたのだから。しかし、そういう日々を超えての今、私が直面すること。それは、頑張れない自分との戦いだ。普通、大学生は大学受験などで頑張ってきている。が、私は頑張っていない。ほとんど頑張ったことがない。その先に待つもの。それは頑張れない自分。今まで全く頑張ってきていない私は、頑張らなければならない時に頑張るのが難しいのだ。

今まではよかった。私は頑張らないでもここまでこれている。が、それもやはりそこまで。大学生にもなれば、私の能力などで簡単に乗り越えられることなどほぼない。つまりは今まで通り頑張らなくてもクリアできたりは決してしないのだ。それはある意味当たり前で、頑張るのは普通だ。が、それが私には難しい。ぬるま湯に浸かりきってここまでやってきたツケがまわってきているわけだ。

頑張れ、負けるな。
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